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​プロフィール

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好きなもの

■サブカル:サブカルに広く浅くにわか的に精通しています。

・ゲーム:記憶をなくしてもう一度やりたいゲーム多数。

クロノトリガー、ロマサガ、ウイニングイレブンなど。年末は桃鉄をやります。


・漫画:男3兄弟みんな漫画が好きなので実家に1000冊以上あります。

嘘食い、さいとうたかをのサバイバル、サンクチュアリ、宮本から君へなどが好き。

​・音楽:Japanese HIPHOPをよく聞いています。気持ちの良い韻の踏み方、フリースタイルの盛り上げ方など演説に使えないかと思ってますが中々難しいですね。

・映画:ドラえもんの映画は至高。

チャップリンとキューブリックの作品にドはまりしていた時期があります。

​■新しいもの:ガジェット好き、新しいIT技術好きです。

chromebook3台、ノートPC3台持ってます。オンラインサービスを触るのが好きでとりあえず新しそうなものは登録して触っています。

今はUnreal Engineを使ってみたいのと新しいRPGツクールがUnityらしいので選挙ツクールとして日常ゲームを作ってみたい。

 

・周りにちょっかいかけるちょろ助でした。試食のお菓子やソーセージを沢山食べたりして怒られていました。

性格は今と変わらずマイペースで、男3兄弟の3男だったので甘やかされて自由奔放に育ったんだと思います。

・実家に庭があったので庭に大きなかまくらを作って遊んでいました。兄弟と年齢のだいぶ上の近所のお兄さんお姉さんたちと外で遊ぶことが多かったです。

・兄たちと違う幼稚園になったのですが、その理由が「陽平は体を動かすのが好きだったので自由な校風の幼稚園がいいと思って」とのこと。最近知りました。

・父の実家が旭川だったので年末年始とお盆は旭川の祖父と柴犬のテツの散歩に行っていました。最近祖父が99歳で亡くなりましたが、最後にひ孫を会わせることができてよかったと思っています。

1990-1995

幼少期

1995-2006

小学校~中学校

・兄がやっていたので小学1年生から札幌のアイスホッケーチームに所属をしていました。気が付いたらリンクに乗っていました。と言ったらカッコイイですが、本当に当時の記憶がありません。

・毎日のように月寒体育館に行ってスケートをしていました。小学生中学生は一般開放リンク代無料だったので学校終わったらすぐ行って、スケート滑って、リンク開放終了後は2階の卓球場で遊んでいました。売店のおばちゃん元気かな。

・小学生3~4年生の頃にサタデーテーリングにめちゃくちゃ行ってました。あれは素晴らしい体験だったので自分の子供にも是非チャレンジしてほしい。とりあえず青少年科学館に行ってきてほしい。

・アイスホッケーをする=車でスケートリンクまで移動なので、札幌市内でも冬は1時間かかる道を運転してもらったり、苫小牧まで送ってもらったり大変な苦労をかけました。母の偉大さとお金のかかるスポーツをさせてくれた父の偉大さが今になってよくわかります。ほんとありがとう。

2006-2009

​高校時代

・人生で指折り数えるほどのしんどい時期で、充実した期間でした。受験の失敗もあり地元の高校に進学できなく、人口より牛のほうが多い清水町にある十勝清水高校に進学し、寮生活を送る。

・初めての一人暮らし、友達が0、知らない土地で娯楽はほとんどない、部活は鬼厳しい、先輩は超怖い。辛かったですが、なんとか3年間やり通す事が出来たのは自信に繋がりました。今までこの時期以上に辛かった事はほとんどなかったです。

・アイスホッケー部で学んだことは気合で何とかなる。友達や仲間は大事にしよう。悪いと思ったら謝る。全国から集まる仲間との寮生活で社会性はだいぶ身につきました。

本を読み始めたのはこのころです。今でも覚えている一番最初に手を付けた本が「論語」。もちろん論語は読めなかったので慶応高校の先生が作った「高校生が感動した論語」を読み、読書にハマる。

沢木耕太郎の「深夜特急」と高橋歩さんの「世界一周しちゃえば」という本を読みバックパッカーに強く憧れを抱く。

2009-2014

​大学~大学院時代

・北海学園大学アイスホッケー部主将でした。みんなで楽しくをモットーのチーム作りをしていました。2部リーグから1部リーグに上がり、最終的には1部の4位であと一歩でインカレ出場の権利を得られていたのに残念です。

 

・カタリバという高校生向けの教育活動を精力的に行っていました。ナナメの関係と対話を通してきっかけを届けるという出前授業で恐らく5000人以上の高校生に届けてきたと思います。カタリバに関しては書ききれないほど想い入れはあります。

 

・旅が好きで日本中を一人で目的もなく旅していました。お金もないので貧乏旅行です。九州から東京まで地図も持たないでヒッチハイクとかしながら北上したりしていました。途中で甲子園の決勝があれば観戦にいったり、富士山があれば登ってみたりと無計画なりにその場をどのように楽しむかを考えて色々行動していました。

​各地の文化や食事を楽しめたのがよかったです。

・2011/3/11の時はバングラデシュにいました。スタディツアーでBOPビジネスの研究として現地で活動をしているときにバングラデシュ人に「あなたの家族は大丈夫か?」と聞かれ始めて震災の状況を知りました。バングラデシュ、タイを訪問したのですがそこで日本を支援しようという人たちにたくさん出会い感動しました。

・札幌学院大学大学院に進学。税法や会計学を勉強しながら教育のNPOの運営をやっていました。今でも税金と経理は苦手です。

・友達3人とルームシェアで暮らしていました。札幌駅徒歩7分3LDK5万円で非常に安い!

陽だまりの家と名づけ色々な人たちが集まり語り合ったり飲み会したりたくさんの人と出会える場になりました。雰囲気は恐らく北大の恵迪寮と大して変わらない感じです。
 

2015-2022

サラリーマン時代~現在

・全国転勤の会社に勤務。配属先が茨城県つくば市に。各自治体への営業マンとして毎日100km以上車で移動。同じ会社の先輩方やお客様にとても良くしていただき充実した日々を送る。会社を辞めた後でも交流があり、つくばに行きBBQに誘ってもらうことも。(そして北海道からBBQのために日帰りで行くフットワークの軽さです。)

・教育NPOに転職したのは、北海道の教育を良くしていきたいという点と、北海道のNPO事情を給料の面から変えられないかという点からでした。根拠のない自信があって自分だったらできると思い込んで飛び込んでみました。給料は3分の1以下になりました。

・NPOの組織に入って挫折を味わう。大きな組織に新入社員として入るのと、まだ出来上がっていない組織に中途採用として入るのは大きく違う、NPOのキャッシュポイントの少なさや難しさを知り一度NPOから離れることに。

・自分で会社を作ってみようということでオガワヤを作る。友達と一緒にDIYをして13LABOを頑張って作りました。理念はJust for fun「楽しそうだったらとりあえずやってみよう」を理念にしています。
 

​・胆振の震災時に学生延べ100人を連れて震災支援を行いました。友人の企画でしたが私は運転手として中型免許を活かしピストンで被災地まで運転していました。

・北大の公共政策大学院に入学する。知り合いの方に紹介されたことがキッカケでしたが、社会課題を解決するアプローチとして政治や政策の力が必要なのではないかという仮説を持っていたので幅広く学べる大学院ということで現在勉強しております。

・新型コロナウィルスの影響で事業に大きな影響が出ました。学生の就活の困ったを解決するためオンライン上で合同企業説明会を北海道で初めて企画運営する。多くの方に喜ばれ、まずは行動することの重要性を感じました。

エピソード

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